日本人絡むことを避けてた時期
自分の話をしてこなかったのでぼちぼちしていく
第5話目
そう日本人と絡んでては英語も上手くなんないし、
言葉選ばずに言うと海外まで来たのに、みたいな気持ちもあった
全部が全部それが間違いかというとそうでもないだろうけど
当時の私は完全に焦ってた
そう焦っていたのだ
しかし、Green PeaceのMasamiくんAJ(えいじくん)やHIRO よっしゃんくんなんかと出会い色々変わっていった。
まず、ガイアナのコミュニティでレギュラーで回せるようになって、しばらくしてちょこちょこみんな覗いてくれるようになった
すると現地の奴らの自分達への見方も変わってくる
こいつプロップスあるな的な。
まず自分の国でかましてないと、どうなの、と
最終日本に帰国すり前にはこの気持ちが大きくなったのもあるのでまたどこかのタイミングで詳しく書きたい
ちょこちょこ遊びに来てくれるようになって、
自分達も他のイベントのブッキングなんかももらえるようになった。
これは確かニューヨーク住んでレギュラー以外で呼ばれた2回目のフライヤー
第4話ででてきたDJ KASHの名前も
DJだけなら、器用である程度できたら生きる道はあるけど英語全然な自分も呼ばれMCもさせてもらえるって
まぁほんと改めて感謝しないと。
リビングで一杯やろうよ。と誘ってくれてたのから完全に背中を向けてましたが、
自分のやらないといけないこと、やりたいことを朝からしっかりやってれば参加するようになった。
焦ってたのだ。そして余裕がなかった。
写真があんま見つかんないけど当時自分が撮った写真にこんなコメント
相当喰らったんだと思う。
ここに名前上がってない人にくらってないとかそういうんじゃなくて。
こえるって表現が荒々しい。よく言えばいい熱量けど悪く言えば視野が狭い
特にMasami氏は、Queens Jamaica(ニューヨークです)を歩いてると、
Masamiしってるか?
Green Peace知ってるか?
とまじでめちゃくちゃ言われる。
かましまくってるのだ。
めちゃくちゃ朝ビールので遊んでる人に最初見えてたけど(すいませんw)
ちょこちょこ遊びに来てもらえるようになった頃の写真
やることやりまくってからの、あれだったのだ。
本当に学びこと多い。
ほんでそんなとんがってた私を放っておくことなく
本当色々気にかけてくれていたのだ、
そうだ。
Spread Love it’s the Brooklyn wayなのだ
ビギーの歌詞で出てくるのだ
“愛を分け合うのが俺らブルックリンのやり方だ”
渋すぎる
街にも
突然書きながら思い出した話が。
New YorkのSub Way 地下鉄にはほぼエレベーターなく階段だらけで
最初にくらったのが
ベビーカー押してる方がいたら、みんなで手伝って階段の上まで上げるんです
子供の足置きのとこ持ってお母さんは下からあげるとか
左右に分かれてあげるとか
色んなあげ方でみんなで上まであげる。
人のこと一切気にしない街のようなイメージもあるけど、こういう愛のあるところにブッ刺されたのを思い出した。
ホームレスに God Bless Youと書いて賄いを置いていくDaichiなので(第二話参照)
これも速攻チャレンジした。
しまくった。
人に愛を持って接するとなんだか自分が幸せになれるというか
人のためでもなく自分のためなのかも、なんて思ってた
そして人は見た目によらない。
めちゃくちゃ悪そうなHoodの若者とかも結構率先して声かけてとか、当たり前のようにベビーカーのとこ行ってあげて、助け合ってる
そうこの世の中は愛なのだ



